UFO手帖3.0―宇宙<そら>から来ないUFO 刊行記念 その1(地底編)

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UFO手帖2.0を手にしてからもう一年も経ってしまったというのがまず驚きなのだが、それは置いておいて。
待望の続刊UFO手帖3.0がついに刊行されました(私も寄稿させていただいております)。
内容のご紹介もかねて感想などを少しばかり記してみます。

宇宙から来ない、では、どこから来るのだろう。―まずは地球内部から。

ESSA-7による北極に大穴が開いた衛星写真、子どもの頃雑誌で見たなあ。
UFO手帖記事で解説されているように、どこにも夜の影がないということから合成写真と考えるべきなのだが、穴のほうに目が行ってしまって他のことを考えられなくなってしまう威力がこの写真にはあるのだった。

そして地底空洞説。

・「惑星とプラムプディング―地球空洞説をめぐる論争史」

ハレー彗星の人も地球空洞説を唱えていたんだよ、とは何かの本で読んではいたが、ケプラー、オイラーなど誰でも知っている著名な科学者がずらりと出てくる。
そして科学界ではない一般層向けにこの説を広めたジョン・シムズが登場。地球内部の探検の必要性を訴えて各地を遊説する熱き退役軍人である。
シムズに関しては次の記事「明治26年のシムズ地球空洞説」で(主に日本国内での取り扱われ方について)詳しく紹介されている。
ケプラー、ハレー、シムズは、同心多重地殻モデルという複数の地殻が地球内部で回転しているという説だったのに対し、単一地殻モデルを唱えたのがガードナー。彼の説では地底空洞の中心には小型の太陽が存在する。
「頭上に輝く小型の太陽、永遠に続く正午」…何と美しいSF的光景!

この後、論争の行方や空洞説への名だたる科学者・実業家の関与などを読みふけるうちに、いつの間にか自らが立つ大地はおろか世界線までが改変されていることに気づくのだった。

・明治26年のシムズ地球空洞説――新聞紙『國會』に連載された「地心探検」をめぐって

前述したシムズに関する記事から、戦前の日本に地球空洞説はどのように伝わったのかを探る。
シムズの主張は、北極にある孔口より探検隊を送り込み、地球空洞内にある温暖豊穣のユートピアを発見しようというものなのだが、発表されるや否や凄まじい嘲笑の的になったようだ。
ホラ話を表す言葉としての「シンムスの地孔」(「シンムス」はシムズのこと)という造語のくだりなど生々しい感じで、今で言うところの「炎上」案件だったのだろうと思われる。
科学界で空洞説が出たときはこんな反応じゃなかったのだろうなあ。まあ、科学界では誰も地底にユートピアがあるとは言ってないのだろうし。
それにしても極地探検、オーロラ、謎の地平と揃うと小栗虫太郎を連想する…。

高橋克彦の『バンドネオンの豹』の紹介記事。高橋克彦はいろいろ読んでいるのだけれど、これは読んでいなかった。
バンドネオンの豹一味のお出ましだい!(←それはあがた森魚のバンドネオンの豹)

スノーデンによる「DARPAによる地底人抹殺計画」の記事で思い出したのだが、DARPAは2018年初頭にSubTチャレンジなる地下環境開発プロジェクトをぶち上げているので、地底人の掃討は完了したのかもしれません。DARPA公式サイトによると「SubT Challengeは、人工トンネルシステム、都市の地下、自然の洞窟ネットワークを含む複雑な地下環境を迅速に地図化、ナビゲート、検索、活用するための新しいアプローチを模索する予定です」とのこと。