デジタル功過格
功過格という道教(積善派)にカテゴライズされる考え方がある。
功過格表という善行/悪行の得点表があり、善行を積めばプラス、悪行を行えばマイナスとしてポイント計算されるのだ。
例えば、人の命を救えば+100(当然命を奪えば-100という計算になる)、
無縁仏(行き倒れの遺体だろうと思われる)を供養すれば+50、
というような計算方法である。
ポイントがたまれば出世、長寿などの見返りがある(なので善行を行ってもそれについて報酬をもらったらチャラになってしまう)、
という考え方なのだ。
これは袁了凡(1533-1606)が記した『陰シツ録』で広まった考え方であるが、古くは4世紀の『抱朴子』の中に記述が見られる。
竈(かまど)の神がその家の人間の善行悪行を記録し、人の運命を司る神に報告することで寿命や社会意的地位が変化する、という考え方もこの流れを汲むものだろう。
袁了凡は、若い頃に出会った占い師の占いがあまりによく当たるため、完全な運命論者となり、煩悩も希望も抱かないというこころもちになっていたのだが、
雲谷禅師に運命を変える方法としての積善を教えられ、結果として寿命、出世、子宝といった点で過去の占いを上回ることができたというのが『陰シツ録』の内容であるらしい。
興味深いのは、この考え方の主眼が
「善いことをしましょう」
ではなく
「運命を変えましょう」
という点にあることだ。
なるほど、自分が「善」だと思うことを遂行し、その結果同じ価値観を持つ集団が益を得、またその価値観に基づいて行動する、
という連鎖が続き、広がれば結果として生きやすい社会になるような気はする(自らの考える「善」の基準が多数派に属する場合に限られるが)。
だが、それを、権力をもってシステマチックに行える時代が到来したようだ。
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もともと出世はおろか寿命だって天だけが決められるものではなかったわけで、権力がそれらを司っているファクターの方が大きいだろう。
それをテクノロジーで強化したところで最早目新しいものではあるまい。
とはいえ、
竈の神の役目をテレスクリーン(今ならスマートスピーカーか)が担い、デジタル三尸は防犯カメラやパソコンの中だけでなく本当に人体の中に潜み、その行いをつぶさに権力機構に知らせ続けるというのは、どうにも気持ちが悪い話だ。
デジタル庚申講とかが行われるようになるのか…、何か既にあるような気もする…。