60~70年代の通俗オカルトと雑誌メディア
武田崇元氏
※初アップ時に不正確な記述がございましたので訂正させていただきました。
満を持して、武田崇元氏(八幡書店)のご登壇です。
吉永進一先生によるご紹介では、「日本オカルト裏番長」。
お二方の交流は40年に及ぶとのことで、吉永先生は武田氏の著書『日本のピラミッド』(竹内裕名義)で武田氏を認識されたとのこと。
「箸にも棒にもかからない(当時)大陸書房の中で唯一面白い。」
その後『地球ロマン』に衝撃を受けられる。
「クリティカルにオカルトを扱っている。」
「ジャンクオカルトを煽りつつ、クールにオカルトを見る。」
近況として
2017年8月カナザワ映画祭にてトークイベント「映画の生体解剖」を行う。
稲生平太郎(横山茂雄)氏、高橋洋氏(「霊的ボリシェビキ」監督)と。
「霊的ボリシェビキ」という言葉は武田氏によるものとのこと。
渋谷ユーロスペースに続き、新宿K's Cinemaでも上映、トークショー。
以下、武田崇元氏のご講演(ご本人によると「漫談」)まとめです。
○60年代のオカルトについて
60年代の「オカルト」、「オカルティズム」は文学の用語だった。
澁澤龍彦はオカルト作家である。『犬狼都市』は緑色のインクで印刷されていた。
当時オカルトはシュールレアリスムの中に位置付けられていた。
タロットカードを『秘法十七番』(アンドレ・ブルトン)で知った。(*1)
○『不思議な雑誌』について
1963~1966(日本文芸社)
扇情的な(よくわからない)見出し
「57万人に一人の恐怖体験記録」とか。
表紙画は秋吉巒。SM画の表紙をよく手がけた。
ちなみに当時の王道エロ雑誌に『奇譚クラブ』があるが、最近はガシャポンの会社に同名のものがある。
「若い女の子が『奇譚クラブ』とか口にしていて驚いた。」
「一度(今のガシャポン会社の)社長に社名の由来を聞きたい。」
オカルトは、王道ではないエロ(=変態)と近いジャンルに属していた。
王道のエロ本には「実話」という単語が使われる。
『不思議な雑誌』の記事「インド邪教シリーズ」
「インドに恨みでもあるのか。」
秘境ものの記事
60年代は外国は遠かった(そのためアマゾンなどの秘境ものがうける)。だが、戦争は遠くなかった(記事「戦地の息子を思う母」など)。
日本国内の民俗学的記事(マタギなど)も秘境ものとしての扱いで掲載。
秘境から秘教へ。
・その後のオカルト雑誌とどう異なるか
ネッシー:この頃既に掲載されていた。
UFO:『ボーイズライフ』(小学館)では扱う。『不思議な雑誌』では少なかった。
エイリアン、陰謀論は60年代には無かった。
超古代:60年代では秘境ものの扱いであって、後のものとはテイストが異なる(「こんなに珍しいものがありますよ」という感じ)。
戦争の傷を扱う記事が多く(上官に復讐した「濡れ少尉の亡霊」など)、旧帝国陸軍への反感は一貫していた。
『ムー』は「物語としてのオカルト」の提示が新しかった。
・広告について
時計(東洋時計)の広告がほとんど。
・この頃刊行された書籍
1968年『失われたムー大陸』
1968年は世界的な学生運動、民俗学再評価の年でもあった。
通俗オカルトもインテリゲンチャもともに民俗学を扱っていた。
○70年代
1970年 華青闘告発事件 マイノリティポリティクスの台頭
オカルト医療
・針麻酔
・心霊手術
「どちらも最近聞かない。」
1975年12月『日本のピラミッド』(超古代王朝(ピラミッドを作成した文明)を現天皇家が滅ぼしたという内容)
同年に『東日流外三郡誌』が登場、すぐに取り入れる。
○『地球ロマン』について
1976年4月創刊
雑誌としては『地球ロマン』からUFO記事が載るようになる。
復刊地球ロマン『偽史倭人伝』:オカルト批評の視点。
私家本的内容(=ぶっ飛んでいる)の言説を取り上げていく。
CBAなどUFOカルトも取り扱った(復刊地球ロマン『天空人嗜好』)。
復刊地球ロマン『我輩ハ天皇也』:当時天皇本は人気で、どのスタンスでも一定の売り上げがあった。特に抗議などはなかった。
1976年9月『オカルト時代』創刊 表紙は秋吉巒。
1977年『コスミック・トリガー』
ティモシー・リアリー(*2)は宇宙からの通信を獄中で受け「日本人が世界を救う」旨の発言をしている。
「その日本人は俺や!」と思った。
○オカルト雑誌について
・『コズモ』:アダムスキー主義の雑誌。『UFOと宇宙』で方向転換した。
広告が天体望遠鏡しかない。当時、オカルトグッズの市場はなかった。
・『ムー』:学研からの出版だが教育的配慮などはなかった(『マイバースデイ』との違い)。
当初『高1コース』(学研)のような学習雑誌に、編集部から依頼を受け宇宙人の話を書いた。
畑から宇宙人の首が生えてきた、というような記事だったが(本当にそういう事件があった)、全記事中一番の人気となった。
「他は勉強の話しか書いていないのだから当たり前。」
『ムー』1~3号の表紙は生賴範義による戦闘美少女。それ以降は現在の表紙のテイストとなる。
ここで、オカルト雑誌はエロからの脱却をみる。
それまでのオカルト雑誌は、総力特集であっても何人ものライターが書いていた。
『ムー』は総力特集を一人で執筆する。
「物語としてのオカルト」の誕生。
現在の『ムー』では一つの要素では記事は成立しない。
「甲府事件とナチスUFO」のように複合ネタで成り立っている。
・斎藤守弘:児童書に「世界の奇病」の記事を載せ、苦情が来る。庭で雑誌を焼かされるという本物の焚書を見た。
(*1)アンドレ・ブルトン
シュールレアリスムの提唱者。
こういった教養が私には欠けている。
(*2)ティモシー・リアリー
LSDを使った意識変容の研究者。
こういう人は知っている。