2月10日、twitterで知ったこの催しに行って参りました。
久し振りの学術的催しにわくわくしながら参加、そして期待をはるかに上回る成果でした。
以下、拙いながらレポートを。
少し早めに到着したのだが、会場は7~8割ほどの埋まり様。いつもの様に前のほうの列に陣取ることにする。
配布された資料に目を通していると、受付が大行列になっているとの情報と合わせて、開始時間を後ろ倒しにする旨の連絡が入る。
200人くらい入る教室だと思うのだが、見る間に席が埋まっていき、果ては補助席のパイプ椅子まで提供される運びとなった。
後で知ったところでは最終的に260人ほどが集まったそうだ。
ポスターには「事前申し込み不要」とあったので、ちょっと不安に思っていたのだが、やはり、少々読み違えがあったようだ。
講演、シンポジウムが終わった後の閉会の辞でも、
「こんなに多くの参加者が集まったのは初めて」
とのお話があったので、昨今の怪異系の人気は侮れないものがあると痛感した次第。
総合司会の松本健太郎准教授が登壇され、いよいよスタート。
テーマがテーマだけに準備段階からトラブルが続出したとのお話があり、その辺りもう少し詳しく、と思っていたのだが、すぐに眼前でトラブルが発生していくのであった。
小山聡子教授による開会の辞で、卓上に用意してあったはずの原稿がロストするといういきなりのトラブル。
だがそこはさすがプロフェッショナル。何事もなかったように開会の辞を進められる。
死霊表象研究会を立ち上げられ、宗教学、メディア学など多角的な視点でのアプローチを試みられている由。
なお、今回の発表を元に本が出る(年内だそうです)予定とのことなので、メインの論調はそちらで追って下さることを期待します。
ここでは本に載りそうにない余談的部分を拾って行こうかと。
基調講演は山田雄司教授(三重大学)。
どこかでお見かけしたお顔だと思ったら、忍者学の方でした。NHKで見た。
一昨日までタイのバンコクで忍者の話をされていたとのこと。しかし、本業は日本史研究。
だがこちらでもいろいろあるようで、崇徳院の怨霊に関する研究について、「歴史科学を標榜する歴史雑誌」から
「霊などという非科学的なものを取り扱って何の価値があるのか」
と批判を受けたそうな。
霊の存在の有無ではなく、各時代において人々が「霊的なもの」とどう関わり供養してきたか、を研究する学問であり、この観点なくして歴史研究はできない、とのお話。
大いに首肯する。
講演のタイトルは
「生と死の間―霊魂の観点から」
「死とは何か」という問は「何をもって『死』が確定されるか」という問につながる。
死とは魂が肉体から離れ、戻ることのできなくなった状態、と定義付ければ、生と死の間には「浮遊する霊魂」状態の存在がある、とも言える。
この状態が他人の目に触れることがあり、それは人魂と呼ばれ、古来和歌などに多く詠まれている。
興味深かったのは、人魂を見てしまったときに取る作法(まじない)があるというお話。
霊柩車を見たら親指を隠す、みたいな話ではあるが、ここでは褄(「つま」:和服の合わせの部分の端)を結び、三日間ほどいてはいけない、とのこと。
遊離した魂を見ることにより、見た側の魂も離れやすくなってしまう。そのため、肉体から魂が抜け出ないように「結ぶ」というまじないを行うのだ。
魂が肉体から離れるきっかけはいくつもあるようで、
・荒ぶる魂(人魂など)に遭遇する。
・恋をする。
・くしゃみをする。
・夢を見る。
などなど。それぞれに離魂防止のまじないもあるのだろう。
死んで間もない魂を呼び戻す召魂の儀式というのもあり、これには屋根に上がって北極星(寿命を司る)に向かって矢を射る、というものがあるそうだ。
そしてこの行動は、かぐや姫を迎えに来た月の使者に対して、連れ戻させまいとする地球側の兵が行ったことと合致するのである。
つまりは死んでしまった姫を召魂によって蘇らせようとするも失敗してしまった、という事実を元にあのSF悲恋物語が生み出された、という解釈も成り立つということか。
これまた面白い。
くしゃみに関しては興味深いお話が聞けた。
「くしゃみ」の語源については「糞食め」である説は知っていたのだが、
「休息万命急急如律令(くそくまんみょうきゅうきゅうにょりつりょう)」
という呪文が変化して「くしゃみ」になった、という説は面白い。
また、死者の魂はどこへ行くか、という問題への答えの変遷にも言及されていて、
古代は天上、山、森、海(常世)などであったのが、中世で「墓に行く」という考えが出てくる。
実際、それまでは墓を作れるのは天皇くらいだったのが、中世以降庶民も墓を作るようになったことが関係していると思われる。
また、もともとは神と人とは(死者となった人であっても)別々の存在であったのが、中世以降融合する傾向が見られ、祖霊が神として願いをかなえる存在になっていくというのも興味深い。
ただ、死者の魂は墓に行くとは言っても常に墓にいるわけではなく、祭礼などがある節目に合わせて墓に戻ってくるものであるようだ。
当初は年の瀬、大晦日に帰ってくるため、この時期に死者と再会できるという考えであったものが、仏教の影響を受けてお盆に帰ってくるというものに変わったようだ。
昔は盆と正月が同じであったということか。
配布された資料では和歌、更級日記、平田篤胤、記紀などの記述を元に
・浮遊する霊魂
・死と霊魂
・召魂
・鎮魂
の章立てで霊魂の観点から見た生と死について語られているが、それは出版される予定の本で確認されたし。
いやあ、勉強になる&面白い講演でありました。
本に載らないであろうポイントを中心にまとめてみましたが、ここにすら書きづらい部分も面白かったこと…!
こればかりは参加した者の特権と考えています。