方向音痴とテクノロジー

脳には右脳的機能と左脳的機能があるという。
理論的・言語的機能は左脳、感覚的・芸術的機能は右脳、などとよく言われるが、実際のところは必ずしも物理的な位置としての右脳左脳とは一致しないらしい。
右脳型・左脳型での区分など、血液型占いレベルの信憑性だと断じる意見もある中であえて言うと、私は典型的な左脳型になるようだ。

というより、右脳的機能がとことんへっぽこである。

人の顔を憶えることが苦手だ。
絵心が壊滅的にない。
空間把握が苦手だ。

反対に左脳的機能は、ややましであるようだ。

学生の頃さんざん受けさせられた知能テストでは(そういう研究室だったのだ)、音節を聞いて憶える課題は得点が良いのだが、
「前のページの方眼紙に記された図をこのページに描きなさい(方眼紙のドットを塗りつぶしていく)課題」
とか
「この図形を二つに切って貼り合わせると正方形になります。さて、どう切れば良いでしょうか。」
とかという課題は壊滅的だった。

こういうアンバランスな人間だとどういうことになるか。

方向音痴になるのである。

しかし、方向音痴であっても目的地にたどり着かなくてはならないのだ。当たり前だが。

昔、出向でいろいろな工場に赴くことが多かったのだが、まず最初の課題は目的の棟とそこに至る道筋を憶えることだった。
案内されるのは最初の一回だけなので、それで憶えなくてはならない。
左脳的機能しか持たない者としてはどうするか。
全行程を言語化するのである。他に方法はない。

正門から入ってまっすぐ進む。3つ目の交差点を左に曲がり、左側に並ぶ棟の3番目…。
とかそういう感じ。

方向音痴対策にも年季が入ってくると、

…左手に見える3番目の棟を目指す。この時正面に壁面が緑色のビルが見えたら行き過ぎている。180度回頭し…

などというように、行き過ぎないための歯止め、正しいルートに戻るためのリカバリ方法まで用意するようになるのだ。

この方法で目的は果たされるのだが、これは極めて脆弱なシステムだ。
道が一本通行止めになるだけで破綻してしまうのだ(駅の出口が改装中で使えないケースでもよく詰んだ)。

スマホの地図アプリを使用することで、実質的に方向音痴は解決されている(と思う)。
先日、NHKでやっていたスマホ修理屋のドキュメントを見てそう実感した。

修理のためにスマホを預けた青年は、いったん家に帰ろうとして駐車場への行き方がわからなくなっていた。
スマホのナビゲーションがないからだ。

ああ、もし私がスマホを持つようになったら、必ず同じようになる…とその時はそう思った。

だが、そもそも私がスマホを持たないのは、そのインターフェースが嫌いなせいであるのだ。
入力はとことんしづらく、出力としてのディスプレイは小さく見づらい。
よっぽど困らない限り、街なかでスマホのナビゲーションを受けながら移動することは回避しようとするだろう。

だが、もし電脳メガネ(「電脳コイル」より)ができたらどうだろうか。
それこそメガネなしでは外出もままならないほどに依存することは確定である。

どうせ便利なアイテムを作るのなら、それなしでは生活できないくらい便利な物を作りたいものだ。

パナソニック 旅ナビ ポータブルSDトラベルナビゲーション CN-MH01L

新品価格
¥22,977から
(2017/11/10 00:25時点)