「男性は、女性が少年マンガを読むことについては歓迎するが、自分たちが少女マンガを読むことはない。それは、女性が価値観を変えて自分の側にすり寄ってくるのは良いが、自分の価値観を変えることには我慢がならない、という男性の傲慢さからくるものだ。」
という発言に対し、小規模ながら論争があったようだ。
私の感想としては、その主張はよくわからないというのが正直なところだ。
読んだことのないジャンルのものを読む、という行為は価値観の変容によってもたらされるのではなく、新しいジャンルに手を出した結果として価値観が変容する、という関係になる。
しかし、その変容は起こってみなければわからないものであるはずだ。
にもかかわらず男性が少女マンガを読まないというのは、その変容を先験的に知っているからではないかというオカルトっぽい話になってしまうし、この発言者を含め誰もそんなことを言おうとしているのではないだろう(そんなことを考えているのは私だけだ)。
私は小学生の時分から普通に少女マンガを読んでいた。女きょうだいがいる環境では一般的なことだろうと思う。少年マンガと同様、面白いものもあれば面白くないものもあった。
ただ、少女マンガの方が作品の幅が広いようには感じていた。SFにしても少年マンガよりも設定が緻密で、盛り込まれるSF要素も多かったと思う。多分、少なくとも当時(1970年代)は少女マンガの方がSFをやるにはマッチしたフィールドだったのではないだろうか。
そんな私だが、幅広く少女マンガを買って読みはしなかった。何故か。
それは、少女マンガの方が少年マンガに比べて過酷な話が多いからである。
家にあったのは殆どが「はなとゆめ」だったのであまりそういう感じの話は多くなかったのだが、
少女マンガ全体で見れば、確実に「ひどい」話が多い。この場合の「ひどい」は出来が悪いの意味ではなく、お話が辛い、過酷であるという意味になる。
過酷系が好きな読者(男女を問わないようだ)は、その作品の登場人物について
「もっとヒドイ目に会えば良いのに」
と思いながら読んでいるという話を聞いたことがある。
たしかに少女系の読み物は昔から「ヒロインが可哀そう」を売りにした物が多く、流れとしては理解できる。だが感覚、趣味としては(私には)たいへんに難しいのだが、この辺が私を含む多くの男子の限界なのではないだろうか。
結論としては、「少女マンガのハードな物語は繊細(へたれ)な男子にはキツ過ぎる」から、男子は少女マンガを読めない(ことが多い)ということになるだろう。
小公女セーラのアニメが放送されていた時、次回予告で
「次回『新学期の意地悪』。お楽しみに」
というナレーションが流れたと仲間内で話題になっていたなあ。
何を楽しみに見れば良いんだ…。