スペース・オペラと呼ばれるジャンルのものも一時期読み漁っていた。発端はキャプテン・フューチャーだったはずだ。後にNHKでアニメのキャプテン・フューチャーが放映されるが、コメット号が涙滴型じゃないことに驚いてあまり見なかった。今は後悔している。広川太一郎氏が主人公というだけでももう十分に価値があるのだから。
原作のストーリーや設定は、スペオペだけあって突っ込みどころが多くあるのだが、キャラクター造型やその関係性の表し方は数多の作品のお手本になっている。
登場人物が主人公を呼ぶその呼び方で関係性を表そうというのはフューチャー以前にあっただろうか。長老サイモン・ライト教授は「坊や」、鋼鉄のグラッグは「マスター」、変幻自在のオットーは「チーフ」、惑星警察司令のエズラ・ガーニーは「キャプ・ン・フューチャー」。いや、最後のは関係性という話ではないが。ちなみにガーニー司令の「t」が抜けるのは「口ひげがあるため」説と「南部なまり」説があってどちらが正しいかわからない。
いろいろ魅力のあるシリーズだが、短編も趣があっておすすめ。「鉄の神経お許しを」など、タイトルからして秀逸である。
太陽系無宿など黎明期のスペース・オペラにも手を出しているのだが、子供心には結構衝撃的だった。なんという人種/男女差別的世界観!まあ、西部劇(ホース・オペラ)の教養もなく先にスペース・オペラに触れちゃうとねえ…。
ジェイムスン教授シリーズもスペース・オペラに含まれるようだ。野田昌宏氏訳だからというわけではないのだろうが。奇抜な外見の主人公が訪れる奇抜な世界、ということで私は大好きだった。鋼鉄の龕灯型ボディに生まれ変わったジェイムスン教授がゾル人の仲間と織り成す大冒険の物語、というとやっぱりスペース・オペラですねこれは。
直方体の惑星を見つけて、「角のところから隣の面を見下ろすのは面白そう」という理由で着陸してみたり、宇宙船が大破して帰れなくなったので現住生物の科学力が宇宙旅行可能になるまで何百年も待ってみたり、と破天荒さが桁外れ。
アニメにしたらたいへんだろうな、と思う作品の一つでもある。何故なら主人公サイドの登場人物が皆(ほぼ)同じ外見だからだ。同じ理由で、原作に忠実に作る「宇宙の戦士」もたいへんになるに違いない。その意味で映画「スターシップ・トルーパーズ」にパワードスーツを出さなかったのは正解ともいえる。
このシリーズの魅力は野田昌宏氏の訳によるところも大きい。何千年も生きている不死身の龕灯型サイボーグが「奴めトチ狂いやがって!」とかべらんめぇでまくし立てるのが何とも良い味なのだ。