家に物が多い。
一番多いのは本であることは間違いないのだが、他にもCD、DVD、ゲーム機、ゲームソフトなどなどがいつの間にか空間を食い尽くしていく。
全く手放すことができないかというとそういうわけではなく、機会を見つけてはネットの古本屋に引き取ってもらうのだが如何せん増えるスピードには追いつかない。
本棚の持つ容積いっぱいに詰め込まれた本(一段を前後に分け、しかも上部の空間を平置きにした本が埋め尽くしている)を見るにつけ、断捨離という考え(行?)からはかなり遠いところにいるのだろうなという実感が湧いてくる。
ただ、この断捨離というものがどうにも自分になじまない。断捨離の効能として「捨てられないと思っていたものが捨てられるようになった」ということが謳われているが、私の場合捨てられないのは捨てたくないからであって、「捨てたいのに捨てられない」というストレスを覚えることはないためである。
そのため、断捨離が身についてしまうと「捨てたくないと思っているものでも簡単に捨てられるようになりました」のようになってしまうのではないかという恐怖が付きまとうのだ。
私にはやりたい事ややるべき事があるのだが、私の持ち物はそのために必要な物である。これらを捨てるのはやりたい事ややるべき事をあきらめることになってしまう。ミニマリストの方の部屋が紹介される事があるが、私にはあのような空間で自分がどのように生活できるのか想像ができない。
もっとも、独房のような所へ監禁されてしまったとしてもしばらくは退屈したりしないだけの脳内ストックや資料なしで可能なToDoリストは構築しているのだが、好んでその様な環境に浸ろうとは思えないのだ。
ミニマリストの方の本がない部屋を見るとその部屋の主は電子書籍派なのかと反射的に思ってしまうのだが、「情報の断捨離」という用語もあるのでそういう話でもないようだ。
引越しをする際、全荷物を運び出した後の部屋で過ごすととても不思議な思いをする。あるはずの物がそこにない、でもここは確かに自分の部屋、という認知的不協和めいた感覚に襲われる。それは自分の相棒のようにして形成した物魂(ものだま)がいないことによる寂しさなのかもしれない。