印契とは、仏の徳や悟りの種類などを現す手の形や指の組合せのことであり、印相、または単に印などとも呼ばれる。結印とは印契を結ぶ動作のことである。印契それぞれに意味や象徴があるので、宗教的ハンドサインと呼ぶこともできそうだ。
祈るときに普通に手を合わせるのも結印だし、忍者のイメージとして一般的なポーズも智拳印という印契にそっくりである。
このように、見ればすぐに印だな、とわかるほどに日常に浸透している印契だが、複雑なものになると手指を組むのもたいへんだし、一見してもそれがどの印契であるかを理解するのは難しい。というか、上記で挙げた合掌と忍者の象徴以外の印契は殆ど知られてはいないのではないか(大仏のポーズ、という感じでなんとなくイメージできるものはありそうだが)。
だが、私は一般的な祈りの場ではないところで結印らしき動作を幾度か眼にしたことがある。
某街紹介番組を見ていたら、出演者の山田五郎氏が九字の印を結んでいた。話の内容とは無関係だったし、特に自らの動作に対する説明もなかったのでずっと疑問には思っている。何か集中しなくてはならない局面だったのかも知れない…。
印契ではないが、手の動きでその人が何をイメージしているか推察できることはある。
算盤の習熟者は頭の中に算盤のイメージを作り、指の動きとイメージを連動させることで計算ができるという。私のような年代だと、周りにそういう技能を持った人は少なくない。だが、先日電車の中で見かけた人は、何か資料を見ながら計算機のキーを押すような指の動きをしていたのだった。頭の中にイメージ上の計算機を作成して指の動きを合わせれば計算ができるということが可能だろうかと、しばらく考えてみたが常識的には不可能であるという結論に至った。拡張現実(AR)を構成する機器を装着すれば可能だが、眼鏡もしていなければ、パワーグローブも付けていない普通の男性なのだった。ひょっとして噂に聞くコンタクトレンズ型のARデバイス…?
何年も前だが、電車の中で結印らしき動作を見たことがある。
私は終電近くの電車で帰路についていた。ある駅に停車した際、ドア脇に立っていた紳士が、不思議な動作をいくつかした後、降りていった。複数の印契を結ぶような動作に加え、手をひねるような感じの動作が加わっていたように見えた。一番端の座席に腰掛けていた私の顔に近い高さだったのでよく見えたのだ。よく見えたのだが、何であるかは全くわからなかった。知った印契は一つもなかったし、全体の動作にも似通ったものは知らない。ただ、素早いながらも極めて自然な動作で、私以外に着目した人は多分いないだろう。私の方を見てはいなかったので私に対するハンドサインではないと思っているが、これも推察でしかない。ちなみに手話ではなかったと思う。両手を組合わせるような手話ってあるのだろうか…。
ジョー・ホールドマンの「終わりなき平和」の中に、終末教という架空の宗教が出てくるのだが、この宗教の信徒たちは信徒同士でしか通じないジェスチャーを持っていて、それで仲間かどうかなどの情報をやり取りしているという描写があった。
もしかしたらあの不思議なハンドサインは仲間に対する呼びかけだったのかもしれない。読み取れなかったのが返す返すも残念だ。