怪異発生の直前あるいは同時に霧または霧に類したものが目撃されるケースがある。
消失事件としては以下のケースが有名である。

・藤代バイパス車両失踪事件
 1963年11月19日、藤代バイパスを走行していた黒いニュークラウンが霧または煙のように見えるものに包まれた直後消失した。この消失の瞬間を、ニュークラウンの後方を走っていた車に乗っていた銀行の支店長代理、同銀行の次長、得意先の客が目撃しており、この事件は毎日新聞に掲載されることになった。
この件に関する小松和彦先生の解釈が「怖い噂の真相」に載っているらしい。読みたい。

・マルセイユのチャリティ自転車レースで少年少女が消失
1991年5月6日、フランスのマルセイユで開催された慈善資金調達用の自転車ロードレースに出場した約80名の少年少女のうち、先頭集団だった10名が消失した。自動車で伴走していた男性は、10名の集団が霧の固まりに突っ込んだ直後に彼自身も霧の中に入ったが、出てきた時には前を走っていた10名全員が消失していたと語っている。その後の捜索でも消失者は行方不明のままであるらしい。

・ノーフォーク連隊失踪事件
1915年8月21日第1次世界大戦のさなか、ガリポリ半島に上陸したイギリス軍ノーフォーク連隊はサル・ベイ丘に向かって行進していた。連隊が進むにつれ、丘の上にかかっていた雲がだんだんと降下し始め、連隊は雲の中へ進む形となっていった。そしてその雲が晴れた後、ノーフォーク連隊341名は全員が失踪していたのであった。この一部始終をニュージーランド兵が目撃しており、イギリス軍に報告を入れたが、調査隊は何も発見することができなかった。

このノーフォーク連隊失踪事件は「ドラえもん・のび太の日本誕生」でも取り上げられているという。…またドラえもんか。「モノと図像から探る怪異・妖怪の東西」でも複数の発表で取り上げられていたが、ここでも出会ってしまった。どれだけ怪異好きなんだドラえもん。

話を戻すと、失踪・消失系怪異には霧がつきもののようだ(ノーフォーク連隊失踪事件に関しては頑固なまでに「雲」表記であるところがかえって気になるのだが)。創作でも「霧が晴れた時」(小松左京著)が印象深い。「魔都」(栗本薫著)もそんなシーンから始まっていたな。そういえばそのものズバリの「ミスト」があるじゃあないか。

異世界への入り口、次元の断層といった「境目」には霧が立ち込めている、という印象が普遍的に持たれているのだろうか。

実際、異界との接続面があるとすれば、何らかの大気の状態差があることは考えられる。気温、気圧、湿度、そういった条件が異なる大気が交じり合う場所であれば霧は発生しうる。

霧の中で行動すると道に迷ったり滑落などの事故に会ったりなどして行方不明なるということは昔からあったと思われる。そのため、霧=異界との接続面という図式になるのも理解できる。だが、衆人環視の中で消失、という上記のようなケースでも霧が目撃され、気圧差といったそれっぽい理由付けまでされるとなると、中二病が疼くのを止められない。

本当のところは、消えるところを隠蔽する演出なのだろうとは思うが。
「見ている前でスパッと消えたんです。」
より
「霧のようなものに包まれて、その霧が晴れたら誰もいなかったんです。」
の方がドラマチックではある…と思う(現象的にはスパッとの方が興味深い気がしてきた)。