2.手紙が伝える怪異―不幸の手紙の進化論
丸山泰明准教授
「不幸の手紙」の変遷に関する講義。
日本国内では1922年1月頃から流行し始めた「幸運のために」が最初(カナダ、アメリカのチェーンレターを翻訳したもの)。タイトルから分かるように「手紙を他人に出せばあなたに幸運が訪れる」というものである(出さなかった人は不幸になった、という文面はあることはあるけれど)。
これが日本では「不幸の手紙」に独自進化を遂げる。西洋では不幸のみをもたらすチェーンレターは発生しなかったのである。
不幸の手紙は日本人に広く浸透し、大人向け週刊誌からコミック(ドラえもん)にまで登場している。
また、不幸の手紙はお寺に「不幸の手紙供養」という新ビジネスをもたらしたり、他人に出さずとも不幸から逃れられる「破棄のおまじない」(宛先を三日月形で塗りつぶしはがきを3枚に破くと不幸から逃れられるだけでなく幸運まで呼び込んでくれる、など)のようなべつのおまじないまで発生させている。
文面もバリエーションに富んでおり、
「私は不幸の手紙です。~(中略)~許して下さい。」という不幸の手紙一人称化から謝罪へつながるものや、「これは『棒』の手紙です。~(中略)~あなたに『棒』が訪れます」
という一見意味不明なものまで様々。
「棒」については山本弘氏のサイトで、文字が汚く「不幸」という語が「棒」と見えてしまった、と解説されているそうだ。
所感として、
西洋では「他人に幸運を配るのだ」という動機付け(もちろん自分も恩恵にはあずかるが)がチェーンレターを流行せしめたと思われる。これに対し、日本では不幸の回避欲求が強い国民性により「不幸の手紙」となったのではないかと思う。
また、バリエーションのところで出てきた「広告」というのは今で言う「バイラルマーケティング」のはしりではないだろうか。
「不幸」→「棒」というお話はたいへん面白かった。
以下オタクとしての見解を加えてみる。
以前「ファンロード」という雑誌があり、その雑誌内で一時期「松平」という言葉が流行ったことがあった。これは雑誌企画の座談会中、参加者が投稿はがきを読む際に「~なのは『松平』だと思います。」と読み上げたことがきっかけだった。これは「不公平」という語が字の汚さのため「松平」と読まれてしまったわけで、ファンロードの常連投稿者であった山本氏なら一瞬で「不幸」→「棒」の図式が読み取れたのではないだろうか。
質疑応答
不幸の手紙のバリエーション増加について質問あり。
その後も増殖中であるらしく
・「○○さんを助けよう」
・「ギネスに挑戦中です」
などなどあるとのこと。
はがき以外の不幸の手紙として、封書のものもある。