不潔恐怖症再び

子供のころ不潔恐怖症の気があった。
医者の診断を受けたわけではないのだが、何かにつけて「手を洗わなくては」、
という強迫観念にとり憑かれ、しょっちゅう手を洗わずにはいられなかったので、
私の手の皮膚はいつも荒れていたのだった。

そもそも「ただのきれい好き」と不潔恐怖症では何が違うのだろうか。
Wikipediaにリンクも張られている「強迫性障害jp.com」によると、

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現実的な綺麗好きが、綺麗が好きで、綺麗な状態を目指しているのだとしたら、
強迫性障害の不潔恐怖の持ち主は、実際に綺麗かどうかを度外視して
不潔を感じる思考を振り払うために行動しているのです。
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とのこと。
要は「理性的な判断に基づいた衛生のための行為」ではなく、
「自分が汚れているという恐怖(観念)から逃れるために衛生的行為を自分に強いる」
状態が不潔恐怖症ということのようだ。

この様に文章化してみると思い当たる節もある。
病的に手を洗っている時、その行為が本当には必要がないものであるという認識が私にはあった。
無駄なことをしているという自覚はあるのだ。
しかし、理性とは別のところで「手を洗わないと気持が悪い、落ち着かない」という感覚があり、
その気持ちの悪さを収めるためだけに手を洗ってしまうのだった。

理性の上では合理的な判断ができているのに、結果としては非合理的な行動をとってしまっている、
という自覚があるため、手を洗っている間というのは結構つらいものがあった。
本当はこんなことしなくて良いことがわかっているのになんでやめられないんだろうなー、
という思いが頭を巡り、大きなストレスとなっていたのだ。

結局、自分の中で折り合いをつける方法を見つけ、日常生活に支障が出ないレベルまで
症状を抑え込むことができるようになったのだが、その時に役に立ったのは
「めんどくさい」という感覚なのだった。
「手を洗わないと気持ち悪い」VS「めんどくさい」
で勝った気持ちの方に従って行動する、というルールを作ってみると、
生来の怠け者気質が勝ちをおさめることが多くなり、
症状は徐々に快方に向かっていったのだった。

なんでこんな話を書いているかというと、
最近この不潔恐怖症にぶり返しの兆しが見えてきたからなのだ。
きっかけはもちろんCOVID-19の流行である。

テレビでもネットでも手洗い、マスク、対人距離を取れと
社会全体が不潔恐怖症を励行しているかのようなありさまだ。

Wikipediaの「不潔恐怖症」の項にある、
「何度も洗わないと気がすまない、ドアノブや車のドアやハンドルや電車の吊り革を掴めない」
そんな状態を、世の中が推奨しているように思われる。

「衛生観念の高さ」と「感染症へのかかりにくさ」には正の相関があるが、
不潔恐怖症だから感染症にかかりにくいというデータは見たことがない。
結局のところ合理的な行動がとれない(とりづらい)という病気なので、
常に合理的な衛生状態を保てているわけではないのだろう。

しかし、世の中が不潔恐怖症を励行してしまった結果、
世の中全体も不合理な衛生観念にとり憑かれているケースが散見される。

例えば、塩化ベンザルコニウムが主成分の逆性石鹸「オスバン」が異常な高騰を見せているとか。
あの優秀な泡化ポンプ容器が欲しいのだが手が出ない。

オスバンはウイルスに対してはほとんど効果がないのに。