実際はトークショーだけの参加ですが(Amazonで予約可能になった瞬間に予約して買ってしまったので)。
会場は秋葉原 書泉ブックタワー9階。ブックタワーはよく通っているのだがイベントスペースには初めて入る。
アイドル写真集コーナーの前で待機というのは、待っている側も、そのコーナーに買いに来た側も気まずいのではないかというのは余計な心配だろう。
司会の方の紹介を受けて、『日本現代怪異事典』著者 朝里樹先生、國學院大學准教授 飯倉義之先生のご登場。
まずは、オカルト、怪異に「はまった」きっかけから。
朝里先生はtwitterでよくつぶやかれている通り、「ひきこさん」からとのこと。下地として90年代の「学校の怪談」ブームがあり、アニメの鬼太郎は第4期からだそう。
飯倉先生はTV番組「あなたの知らない世界」から、とのお話で、鬼太郎は第3期再放送からとのこと。
鬼太郎のバージョンが示準化石的な用法になっているのが面白い。
テレビでやっていた怖い番組の話題で、飯倉先生が怪談四天王の一人、桜金造の「隙間女」を挙げられていた。現在も隙間に居続けているとのこと。もちろん『日本現代怪異事典』(以下『事典』と表記)にも記載があります。
『事典』の中で魅力的だと思うものは、という問いに
朝里先生は「杉沢村」を挙げられる。当初はネット発の都市伝説と考えられていたが、弘前大学の教授(小池 淳一教授)の論文で、ネットより前に青森県で伝承されていたことが判明したエピソードを紹介された。
この「杉沢村」の話題で、飯倉先生が調査されたときのエピソードが紹介される。
心霊スポットにはよくヤンキーの皆さんが集まるので、彼らに聞くと「あれ、オレらのセンパイが作った話なんですよ」という答えが返って来たとのこと。
女の子をナンパして心霊スポットに誘うのだが、本物の心霊スポットでは本当に怪異が起きるかもしれないので、安心できる「架空の心霊スポット」を構築したとのお話。
飯倉先生が『事典』で感心されたこととして、
「同系列の項目を一つにまとめるのではなく、別の項目として扱っている(しかも巻末の類似索引で関連を参照できる)」点を挙げられていた。
ヤンキーへの取材の件からフィールドワークの話になり、
飯倉先生は現場を確認するためにその場所へ出向くことはあるが、
「単なる森や普通の辻であり、(異常なことや雰囲気は)何もない。人々の生活を見守って帰ってくる」とのこと。
大量の参考資料が掲載されている件につき、
朝里先生は『学校の怪談』(常光徹著)が資料となる本としては最初に触れたものであると。
これを受けた飯倉先生によると、学校ではお化けはご法度だが、水木しげると『学校の怪談』だけは許可されるのだそうだ。
オカルトはいかがわしいものなので学校に入れてはいけないが、水木しげると『学校の怪談』はノスタルジーとして判別されるので、許可されるとのことである。
「学校の」怪談ということで、学校という場所について、
設備(音楽室、トイレなど)やイベント(運動会とか)は場所、世代を超えて共通である点がポイントであるとの指摘があった。
飯倉先生からの「音楽室の瀧廉太郎の目は光らない。光るのは海外の音楽家ばかり」という指摘も興味深い。
ここで方向を変えて、『事典』作成中のコワい話について司会が質問。
朝里先生は『事典』編集中には全くありませんとのこと。就職活動中には軽くあったみたいですが…。
飯倉先生は一日に300話くらい怖い話を聞いても一つも怪異が起こらないとのこと。3回はあっても良いのに、と。ただ、見間違いによる「目撃した感覚」を得たエピソードはあった。
司会から都市伝説などを追求した結果、怖くない真相にたどり着いたケースはありますか、との問い。
朝里先生は「ニンジンの怪」につき、発祥は少女マンガであったことが判明したケースを挙げられた。
飯倉先生からは、お話の完成度が高いと口伝で広がり伝承化しやすいとのこと。
例として「番町皿屋敷」。歌舞伎の演目で広まり、全国でその地域に根付いていった。
意図的に都市伝説をつくり流布するケースについて。
朝里先生は親御さんから「寝ないと山姥が来る」と脅かされたそうで、実際、家には裏山があったので怖かったというお話をされた。身近な場所を提示してリアリティを上げるケースだ。
飯倉先生によると、教育やしつけに怪異は用いられやすいという。脅かした後に怪異が発生しなくても「たまたまだ」ですまされるし、なにより怪異は材料として使っても文句を言わないからだ、と。
教師による怪談伝承も多く、また転任があるので伝播にも貢献しているとのこと。
飯倉先生から朝里先生へ、どうしてここまでの事典を作成されたのか、という問いに対しては、
既存の事典には有名な話しか載ってなく、自分の知っている話を網羅しているものがなかった、なかったので、作るしかない。作ってみたら楽しかった。というお話だった。
最初は自分用の一冊だけ、と考えられていたそうだが、欲しいという人がいたので同人誌を出すことにした由。
飯倉先生は後輩の方が研究会に同人誌版『事典』を持ってきていたことが知るきっかけとなった。
その本買えるの?と聞くと
「買えるけど、買えません。」
という回答。良いなあ、この答え。有名な、「この本の存在自体が都市伝説」というやつだ。私も同人誌版を手にこの台詞を言ってみたかった。
そんな流れを経て、笠間書院で商業誌版が出ることになったとのお話。
朝里先生の、ネット上での初出を探る方法は、ひたすらアーカイブを漁ってリンクをたどる作業を繰り返すのだという。これ以上はさかのぼれない、というところでそれを記録するのだそうだ。
ネット上の情報は消えていってしまう、取れるうちに記録をとることが大切だというお話。
飯倉先生は、この『事典』が基準となる、研究者が同一のスタート地点を持つことができる、としてその意義を挙げられた。
石碑を建てたいくらい、とも。
司会からはスマホやAIの時代に怪異はどうなるかという問い。
朝里先生より、siriの例および「AIババア」から、今後AIを題材にしたケースは増えるだろうとのこと。
また、たとえ宇宙、ほかの天体に進出しても、その星を舞台にアナログな怪異が発生するはず、というお話だった。
飯倉先生からは、過去にも当時の新技術を使った怪異の表現はあったが、話の根っこはそれまでと変わらない。宇宙船の窓の外を人影が、とか、仮想現実空間に知らない人が、とか発生していくのだろう、とのこと。
司会から、落語と怪談の類似性について。
飯倉先生は、笑いも恐怖も自分では制御できない感情という点で同じあると。
朝里先生、落語も怪談もオチが重要、と指摘。また、言葉遊びの感覚も重なるところを大きくしている。
例:「悪の十字架」「恐怖の味噌汁」
飯倉先生、それらは昔のラジオ番組への投稿で広まった。人の感性が急激に変化するものでない限り、そういった連続性は保たれる。また、続いているということそのものが、楽しさを増す役割を持っている。
ここで、質疑応答。
Q.『日本現代怪異事典』の「現代」に怪異を語る魅力とは。
A.明治以降迷信排除の風潮があったが、その後、戦争などといった状況を越えても怪異は生き残った。戦後になっても伝えられ続ける怪異は、我々が伝えていくべきものと考える。
昔の話は先達が記録をまとめてくれたから今も残っている。現代を舞台とする話は我々が集め、残すべきものだと考える。(朝里先生)
Q.『事典』で扱わなかった怪異について。
A.UMAに関しては既存の本に詳しいものがある。そのため「ヒバゴン」は入れなかった。
「ツチノコ」は「野槌」として古来から妖怪要素が強い。よって「ツチノコ」は入れた。
『事典』は日本を舞台とする前提のため「ニンゲン」は入れなかった。(朝里先生)
Q.お気に入りの怪異は。
A.「カシマさん」。類似項目は別項目としたのに、すごく長くなってしまった。(朝里先生)
Q.小学生時代の学校の様子はいかがでしたか。
A.古い学校だったのに伝承がなかった。学級文庫くらいしか怪談のねたがなかった。リアルな伝承に触れられなかったのは今でも寂しい。(朝里先生)
Q.今後の増補、改定は。
A.必ず情報は増えていくので拾遺集とか完全版とか…。時代別事典は現在制作中。
Q.『事典』を作って(読んで)見えて来たものは。
A.幽霊が多い、という印象を持った。明治大正までは妖怪が多いが戦後は幽霊が増える(心霊主義の影響が考えられる)。
自然現象や動物については科学的に説明されやすくなり、人間が持つ説明がしづらい部分のようなところに集中している様に思われる。(朝里先生)
かつては地域共同体に固有な場所に結びついた怪異が多かったが、現在は場所性が薄くなっている。これは、「いつどこでこの怪異に巻き込まれるかわからない」=「いつでもこの怪異に襲われうる」ということにつながる。
ネットでは詳細に場所を記述している様に見せて実は単に「田舎」としか言っていないものが多い。これは「秘境」モノに通じる感覚である。(飯倉先生)
Q過去に聞いた話と違っていたものはあるか。
A.結構ある。口伝もネットも「もっと怖くしてやる」的に改変が施されるため。また、出来が良い方が残りやすい。
口伝ではあいまいな記憶や、聞き間違いによるバリエーションが発生する。(朝里先生)
「口裂け女」はもとは岐阜県の「夜中、庭先で、口が裂けた女を見た」というものだった。
これが鎌を持ったり(「山姥」化)、ポマードと言うと逃げていく(呪的逃走)、など「安定した話の構造」に落とし込まれていく(=お話になろうなろうとしている)。(飯倉先生)
最後に両先生から一言ずつ。
朝里先生:同人誌時代にはこんなイベントになろうとは考えもしなかった。
怪異は今でも生まれ続けている。これからも残していきたい。
飯倉先生:『事典』ができたのも怪異を書き残してくれた人がいたおかげ。皆さんも怪異を書き残して欲しい。残さないと、なかったことになってしまう。書きさえすれば、残る可能性がある。アウトプットが大切です。
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