言葉の意味としても「アブラクサス」(グノーシス主義の霊的存在)がなまったという説から、名称ではなく意味のある言葉であるとする説まで多岐にわたっていて、こちらもよくわからない。もともとわかりやすい意味を持った言葉だったのが伝わっていくうちに意味がロストしてしまったのか、最初から(神秘性を高めるためなどの意図で)意味がわかりにくいように作成されていたのかも不明である。
わからないことだらけであるにもかかわらず、力を持つ言葉として広まっているのはたいへんに面白い。
そもそも呪文が効力を持つというのはどのような考え方によるのだろうか。
呪文の音そのものに力や意味が籠るという考え方があるだろう。この場合は発祥と同じ正しい発音で唱えなくてはならないと思われる。逆に言えば、意味などわからなくても正しく唱えさえすれば効果を発揮する、ということになる。危険を伴う呪文、それこそ誰かを呪殺するような呪文などは偶然やうっかりで唱えてしまわないような長さと複雑さを有したものになる必要があるだろう。
また、そういった危険な効果を持つ呪文は慎重に扱わざるを得ないため、伝授していく方法をきちんと考えなくてはならない。うっかり唱えて伝授するべき相手が死んでしまっては伝授の方法がなくなってしまうだろう…ってこれではモンティ・パイソンの「無名ジョークの墓」だ(こちらでは力を持つのは、音ではなく言葉の意味だが)。
現実の歴史でも「Y.H.W.H」の正しい発音については、「神の御名をみだりに唱えるべからず」という教えを遵守していているうちに失伝してしまったとの話もあるので、「安全に」かつ「正しく」伝授するためのシステムが求められるのではないか。それこそモンティ・パイソンのように、伝承担当者を複数人用意しておいて各人は自分の担当の部分しか覚えないようにする、といった仕組みが。
また、呪文が力を持つのは、言葉の意味に合わせて使用者が持つ願望のイメージが明確になるから、という考え方もあるだろう。
このようなイメージと合わせて力を持つ場合には、イメージがより鮮明になるよう、各文化の言葉に合わせれば良いのではないかと思う。
冒頭の「アブラカダブラ」は「私が言うとおりになる」の意であるという説があり、この場合、「アーメン」や「急急如律令」と似た使われ方かと思われる。
「アブラカダブラ」はもはや正しい発音など知るべくもなく、また「アーメン」なのか「エイメン」なのかといった発音の問題はクリアせずとも「かくあれかし」の思いをこめて唱えることが力の契機となるものと考えられるのではないか。
専門的過ぎて訳のわからない文章を、「呪文のよう」と表現することがあるが、本物の呪文もまた、高度な技術によって構築されたものなのかもしれない。神様のような願いをかなえる存在と詠唱者の間でだけ使用されるプロトコルのような考えがあるのかもしれない。